データサイエンスのいろは · ⏱️ 読了目安 5分

アイスが売れると水難事故が増える——は、ほんとうのことだ|相関と因果

3週間、毎朝「コーヒーを飲んだかどうか」と「その日の原稿の量(字数)」をメモしていた時期がある。なんとなく数字をつけたくなっただけで、目的はなかった。

3週間分を眺めたら、傾向が出た。コーヒーを飲んだ日のほうが、原稿が進んでいる。

「コーヒーが効いてる」と思った。一瞬だけ。

「一緒に動く」は、矢印を引きたくなる

2つのものが同じ方向に動く——片方が増えると、もう一方も増える、あるいは片方が減ると、もう一方も減る。統計では「相関がある」という。

相関は−1から+1の数値(相関係数)で表せる。+1に近いほど強く同方向に動き、−1に近いほど逆方向に動き、0に近いほど関係が薄い。計算で出せるし、数字として残せる。

一緒に上がってるけど、太陽が動かしてるだけ。
一緒に上がってるけど、太陽が動かしてるだけ。

で、相関が見つかると、人間は矢印を引きたくなる。「AがBを引き起こした」「だからAを増やせばBが増える」——「一緒に動いた」に、勝手に原因と結果の矢印を刺す。

そこが、ちょっと待て、だ。

アイスが、水難事故を引き起こすか

よく出てくる例がある。

アイスクリームの売上が上がると、水難事故の件数も増える。

これは実際に相関が見られる(統計教育でよく引用される事例だ)。アイスが売れる時期に、水難事故も増える。

じゃあ「アイスを食べると溺れやすくなる」のか。違う。

両方の「原因」は別のところにいる。**気温が上がる(夏になる)**からだ。気温が上がるとアイスを食べたくなるし、海や川に遊びに行く人も増える。アイスと水難事故の間に直接の矢印はなくて、両方とも「夏の気温上昇」という第三の変数から動いている。

この「裏にいる第三の変数」を「交絡変数」という。交絡変数がいると、AとBが一緒に動いていても「AがBの原因」とは言えない。相関はある。因果はない。

コーヒーの話に戻る

3週間のメモ。コーヒーを飲んだ日は原稿が進む。

落ち着いて「どういう日にコーヒーを飲んでいるか」を思い返した。

締め切りが近い日だ。そういう日は、気合いを入れるためにコーヒーを飲む。で、締め切りが近い日は、原稿を進めないといけないから、原稿が進む。

コーヒーと原稿の進みには相関があった。でも原因は「締め切りが近い」という交絡変数だった。コーヒーは無実だった。

つまりコーヒーをやめても原稿の量は変わらない、ということになる。

……その実験はしていない。コーヒーは美味い。

施策の「効果」を読むときも

仕事でも同じ罠がある。

「この施策を打った月、売上が上がった」——で、施策の成果として報告される。でもその月に年末商戦が重なっていたり、競合がトラブルを起こしていたりすることがある。施策と売上が「一緒に上がった」は相関だが、施策が原因で売上が上がった(因果)かどうかは、別の確認が要る。

本当に施策の効果を測るには、「施策あり」と「施策なし」をほぼ同じ条件で並べて比較する設計が要る(A/Bテストはそのための仕組みだ)。「一緒に動いた」だけでは、矢印は引けない。

「相関があった」は、スタート地点

「相関は因果じゃない」を強調しすぎると「相関は役に立たない」に聞こえてしまうが、そうじゃない。

相関は「ここを掘ると何かある可能性がある」の地図だ。アイスと水難事故が相関するなら「気温に関係がありそうだ」と仮説を立てて、そこを調べる。コーヒーと原稿が相関するなら「締め切りかも? 気分的なものかも?」と第三の変数を疑い始める。

「相関があった」はスタートだ。「原因はこれだ」はまだ言えない。

——「施策の効果をちゃんと測る」には、実験の計画の話になる。そっちはまた気が向いたときに書く。

やあ、ここまで読んでくれてありがとう。

身近な疑問に引っかかったら、数えて確かめないと気が済まない。引っかかってから「なるほど」に辿り着くまでの過程を置く場所「猫だくさん」。